ここでは、町田市立国際版画美術館が2004年度に開始したプロジェクト、「netarts.org」展と、その前身である「アート・オン・ザ・ネット」展についてご説明します。
ご覧いただくにあたって、いくつかのプラグイン(無償)が必要となる場合があります。ご使用のPCにインストールされていない場合には、以下のリンクをお使い下さい(Windowsの場合) 。
「メディア・アート」とは一般に、1980年代にビデオ機材を用いた「ビデオ・アート」が登場したときに始めて使用された用語とされています。当初は、ビデオ機材や電話回線、コンピュータのプログラミングなど、その時々の新しい情報伝達技術を用いたアートやパフォーマンス・アートという限定された意味で使われていましたが、今日の日本においては、アニメーションやマンガも「メディア・アート」と呼ばれるなど、著しくその範囲を広げつつあります。
町田市立国際版画美術館では、「メディア・アート」の定義として、「情報伝達技術の発展、社会の状況、そしてそこにいたるまでのアートの歴史とが交差し、拮抗した地点に生を受ける、新しい時代をインスパイアするような新しい在り方のアート」というものを採用しています。それは現在に限ったことではありません。例えば版画は、それが大きく躍進した19世紀初頭においては最先端の視覚情報伝達技術であり、それがその当時の近代市民社会の成立へと向かう社会の動向と結びつき、膨大な部数が発行された絵入新聞などに採用されることによって、当時の人々に新しい時代のイメージをかいま見せていました。インターネットに代表される新しいメディアが誕生し、これまでにないほどの社会の激動期にある今、町田市立国際版画美術館が求めるのは、わたしたちに新しい社会像を提示してくれるような「メディア・アート」に他なりません。
・社会問題としてのエイズを主題とした世界中のビデオアートを特集した、『ビデオ・アゲンスト・エイズ展』(1990年〜1995年)。この展覧会は、それまでは社会との接点を意図的に排除することが一つの条件とされてきたアートが、エイズという世界規模の社会問題と真っ向から取り組んでいる姿を紹介したものとして大きな話題となりました。
・ビデオというメディアの可能性を探る『ビデオアート・アフター・ビデオアート展』(1992年)。伝えるべき内容やメッセージを意図的に備えないことでアートであろうとし、それゆえに、ビデオというメディアの可能性を活かすことなく消えていった日本における「ビデオアート」。この企画では、ビデオというメディアの潜在力を発揮している海外のビデオアート作品を紹介するとともに、国内の若手アーティストによるメディア・パフォーマンスを上演しました。「ポストペット」の制作者で現在世界的に活躍中のメディア・アーティスト、八谷和彦氏がデビューした展覧会として知られています。
・当時は知名度の低かったイランその他のアジア地域の映画を取り上げた『アジア大衆映画祭』(1990年〜1994年)。当時日本に大勢滞在しておられたイランからの方々に取材し、そのネットワークを通じて入手した、今では処分され本国でも目にすることの出来ない革命前の名作の数々をご紹介したものです。
・世界中で制作されたCMや、映画で用いられたコンピュータ・グラフィックスを取り上げた『映像ファンタジー/コンピュータ・グラフィックスの世界展』(1990〜2002)。1990年代、コンピュータ・グラフィクスの技術は未だ初期段階にありましたが、その表現技術としての可能性に着目して開始したシリーズ。当時CGは、CMや映画といった商業作品としてその大半が制作されていましたが、世界各国で制作されたそのような作品を美術館で無料で公開することはそれまで国外でも前例のないことでした。
・世界の最先端のデジタル・アート、国内外の若いアーティストの作品を紹介する『デジタルインターコネクション展』(2003〜)。
そして1995年からは、日本におけるインターネットの普及に先駆けて、「アート・オン・ザ・ネット展」を開催して今日に至ります。
(目次はこちら)
●「アート・オン・ザ・ネット展」の10年とインターネット年表
以下は、「アート・オン・ザ・ネット展」と、一般的なインターネットの歴史を重ね合わせたものです。
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年 |
月 |
アート・オン・ザ・ネット展関連 |
一般的なインターネットをめぐる状況 |
1991 |
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パソコン通信などにおける「メール・アート」などの調査を始める |
WWW(ワールド・ワイド・ウェブ)の仕組みが誕生。 |
1992 |
4 |
ビデオを用いたパフォーマンス・アート展などを開催する |
Windows3.1発売。 |
1993 |
1 |
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UNIX用のブラウザ、モザイク公開 |
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4 |
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モザイクの正式版公開。利用者約10,000人。 |
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5 |
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WindowsNT発売。 |
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8 |
モザイクでの試験運用を調査する |
モザイクのウィンドウズ・マッキントッシュ版を発表 |
1994 |
10 |
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ナビゲーターが無料配布開始される。 |
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11 |
95年度開催に向けて具体的な準備開始 |
モザイクコミュニケーションズ、ネットスケープコミュニケーションズに名称変更 |
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12 |
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正式にNetscapeNavigatorver.1.0を発表 |
1995 |
4 |
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Yahoo創設(アメリカ)。 |
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5 |
95年度展の広報/作品公募開始 |
この頃VRML1.0が登場 |
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8 |
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Windows95発売(日本版は11月)。 |
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MS社、インターネット・エクスプローラー(IE)1公開 |
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Netscape3のシェア約83%、IE約8% |
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9 |
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1996 |
5 |
96年度広報/作品公募開始 |
この頃VRML2.0が登場 |
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7 |
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WindowsNT4.0発売。 |
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9 |
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この年に Yahoo Japan 設立 日本でも本格的なインターネット・ブーム |
1997 |
6 |
97年度広報/作品公募開始 |
この頃、ストリーミングによる画像&音声再生用のアプリケーションが登場(RealVideo 4.0) |
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9 |
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この年、「楽天株式会社」設立 |
1998 |
5 |
98年度広報/作品公募開始 |
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|
6 |
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Windows98発売。 |
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10 |
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1999 |
5 |
99年度広報/作品公募開始 |
この年、「2ch」開設 |
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10 |
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2000 |
5 |
2000年度広報/作品公募開始 |
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10 |
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この年のDSL加入者数:9,723人
CATV経由のインターネット接続:625,000人 |
2001 |
3 |
|
DSL加入者数:7万700人 |
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5 |
2001年度広報/作品公募開始 |
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|
9 |
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YahooBB商用サービス開始、8Mbpsサービス開始/日本のインターネットユーザーの接続状況:ダイアルアップ=93.24%、CATV=.1%、ADSL=2.32% |
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9 |
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世界同時多発テロ |
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10 |
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12 |
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DSL加入者数:1,524,348人
CATV経由のインターネット接続:1,303,000人
初めて、DSLがCATVを抜く。 |
2002 |
7 |
2002年度広報/作品公募開始 |
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12 |
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12 |
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IEのシェア95%、Netscape Navigator3.0%、Mozilla1.1% |
2003 |
12 |
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「Yahoo! BB」は369万4000回線
NTT東西の「フレッツ・ADSL」は、377万4123回線 |
2004 |
8 |
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11 |
『netarts.org』展開始 |
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(目次はこちら)
●「アート・オン・ザ・ネット展」について
「netarts.org」展の前身である「アート・オン・ザ・ネット展」は、1995年5月、世界で最初期に開設されたインターネット上の美術館です。
これまでの美術館は、画壇で評価された高価なアート作品を教養として鑑賞してもらうためのシステムとして機能してきました。しかし価値観の多様化に加え、バブル経済の崩壊に伴うアート作品全体の貨幣的価値の下落に直面し、90年代初頭には既に、そのように一方向的な展覧会活動の限界が囁かれ始めていました。それは、それまでの美術館の在り方からの離反というだけにとどまらず、19世紀に端を発した近代社会そのものが変化する兆しとしてとらえるべきものでもあることでしょう。
90年代の前半、アメリカでインターネットが一般にも普及し始めると、国内の美術館でもインターネットを研究する動きが見られました。その頃インターネットは主に、国内外の美術館間の研究用画像データの交換手段として考えられていましたが、それは、その当時のインターネットの普及率や通信料金、コンピュータの価格などを考えた場合には当然のことでした。しかしその頃には既に、インターネットの先進国であるアメリカにおいては電話回線使用料の定額制が開始され、また、それまでよりは比較的安価にインターネット接続可能なパーソナル・コンピュータが登場したこともあり、1994年頃には爆発的に利用者数を伸ばしていました。
町田市立国際版画美術館では、前記の「沿革」で述べたように、常に新しい情報伝達のメディアの登場に注目し、その時々の社会との関わりにおいて、そのような新しいメディアの上においてはどのようなものが新しいアートであり得るのかを検証し続けています。そして、インターネットが日本で一般に紹介され始めた時、それが備えているいくつかの潜在力に着目したことから、「アート・オン・ザ・ネット展」の構想はスタートします。
アート作品のためのメディアとしてインターネットは、例えば、「優れているとされる作品をただ鑑賞するだけではなく、誰でも作品を発表することができる」、「世界のどこからアクセスしても、まったく同じ環境でオリジナルのデジタル作品を鑑賞することができる=オリジナルが無数に存在する」ことによって「原則的にその作品を売買することができない=貨幣的価値を備えないこと」、「外部へとリンクを張ることによって、網目のようにコラボレーションのネットワークを広げて行くことができる」、そして「地域の特性を備えたまま国境を越えることができる」等々といった性質を持っています。言うまでもなくそれらは、これまでのアートのシステムに備わっていなかったり、あるいは、そのシステムの性質とは相容れない要素です。しかし、当時アートのシステムに漂っていた閉塞感を考えた時、それらのようなインターネットの特性を活かした「美術館」をネット上に構築することによって、21世紀の新しい美術館像を探ることができると考えました。
そのようにして構想された「アート・オン・ザ・ネット展」は、展覧会のすべてのプロセスをインターネット上で行う公募展形式のプロジェクトとして開始されました。そしてその設立から10年目を迎える今日までの間、展示された作品だけでも35カ国/地域からの346点にのぼり、入賞した作品も、日本、ロシア、オランダ、アメリカ、ドイツ、カナダ、ブルガリア、ベルギー、エストニア、メキシコ、イギリスといった多彩な地域からの応募作によって構成されています。また、2003年度には131カ国からの閲覧を得るなど、インターネット・アートのジャンルではアメリカのウォーカー・アート・センター等と並んで評価を得ています。
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●「アート・オン・ザ・ネット展」のこれまでの歩み
ここでは、1995年から2003年までの「アート・オン・ザ・ネット展」の歩みを、話題となった作品を交えてご紹介します。
○「アート・オン・ザ・ネット 1995−カオスの時代」展
1995年は、インターネットの歴史では、アメリカで誕生したインターネットが完全に商業化され、商用インターネット・サービス・プロバイダ(ISP)が活動を活発化させた年にあたります。それまでに発表されていたブラウザであるモザイクに加え、1994年にはネットスケープ・ナビゲーターが、そしてこの年には新たにインターネット・エクスプローラーが発表され、かなり自由な表現を可能としつつありました。また日本でもWindows95が発売されたことから、インターネットへの注目が一気に高まりましたが、当時国内では商用ISPは数えるほどしかなく、また、電話回線使用料とISP利用料金を加えるとまだ非常に高額で、それが普及の大きな障害となっていました。
第一回目の「アート・オン・ザ・ネット展」は、前述のように、インターネットという新しいメディアがこれまでのアートの限界を突き抜ける潜在力を秘めたメディアなのでは−−−という視点から企画開催されました。その後、世界中の美術館やアート・フェスティヴァルでインターネット・アートが取り上げられるようになった先駆の一つであるとも言われています。その後の「アート・オン・ザ・ネット展」の特徴ともなる、展覧会のすべての局面(広報、作品の受け付け、審査、そして展覧会での発表)をインターネット上で行うというシステムもこの年から採用されました。
この当時、既に通信料金の定額制を導入していたアメリカは別として、日本も他の国々もインターネットは普及を始めたばかりで、当時のブラウザの開発状況、それに回線速度の遅さやコンピュータの処理能力の限界を考慮して、300kb以下の大きさの静止画を対象として募集されました。それでも、一つの作品をダウンロードするのに、数分かかることも珍しくありませんでした。
東京経済大学教授で、日本を代表するメディア批評家でもある粉川哲夫氏をはじめとして、インターネットの世界を代表する人の一人でもあるオランダのヘアート・ロフィンク氏、日本でも映画制作者として知られるシューリー・チェン氏など、世界から招いた5名の審査員によって選考が行われましたが、大賞は該当作なしに終わりました。
日本、アメリカ、ヨーロッパから応募された作品の数々からは、このインターネットというメディアの持つ可能性がはっきりと表現されています。日本の竹久氏の作品である「切り抜いて組み立てると広島の原爆ドームになるペーパーモデルの型紙」に対しては、海外の方から「実際に作ってみたら、カナダにも原爆ドームが建った」というメールが寄せられました。
HIDECHIKA TAKEHISA (Japan): HIROSHIMA/THE BUILDING HAD BLOWED UP BY ATOMIC BOMB
1995年の展覧会の全体は、こちらからご覧になれます。(目次はこちら)
○「アート・オン・ザ・ネット 1996−ホームページ・アート」展
第二回目の「アート・オン・ザ・ネット 1996」展は、日本におけるインターネット・ブームの最中に開催されました。当時の流行語の一つに「ホームページ」という言葉があり、この展覧会は、急速にポピュラーになったこの「ホームページ」という新しい概念の持つ、アートのスタイルとしての可能性を明らかにしようとする視点から企画/開催されました。
インターネットの世界規模の普及を反映し、展示されたアーティストの方々の顔ぶれも、日本をはじめとしてロシア、オランダ、ハンガリー、ポーランド、カナダ、アメリカ、イギリス、オーストラリア、そしてブルガリアなどと多彩なものとなっていましたが、それはそれまでの日本でのアート・シーンではあまり例のないことでした。アメリカや旧西欧の一部の国々以外のアートには半ば閉ざされていた日本のアートの世界の枠組みを、インターネットは易々と乗り越えてみせてくれています。
1995年と同様、世界の5人の審査員によって金賞一名、銀賞一名、銅賞2名のアーティストが選考されました。多くの方の興味をひいたものには、親しみやすくまた操作感が楽しめる日本の「マッハ・ガールズ」の作品があります。
MACH GIRLS (Japan)
また、今日ではインターネット・アートを代表する作家となった、ロシアのアレクセイ・シュルジン氏も出品し、銀賞を受賞しています。
ALEXEI SHULGIN (Russia)
この年の展覧会で特徴的だったのは、鑑賞するだけ」の作品より、何かしら操作が必要な作品に人気が集まったという点にもあります。今でこそ、インターネットはインタラクティブなメディアとして認知されていますが、このようにブラウザ技術の発展を視野に入れて回顧することで、その歩みを再体験することもできるでしょう。
1996年の展覧会の全体は、こちらからご覧になれます。(目次はこちら)
○「アート・オン・ザ・ネット 1997−VRMLに見る日本の未来」展 ※VRMLを鑑賞可能とするプラグインは、こちらです(Windows版)。
この第三回目となる「アート・オン・ザ・ネット 1997」展は、VRML(ウ゛ァーチャル・リアリティ・モデリング・ランゲージ)のアートとしての可能性を追求することを目的として企画開催されました。テーマは「VRMLに見る日本の未来」。世界14ヶ国から応募された75点のVRML作品の中から、世界の5人の審査員の方々によって 「アート・オン・ザ・ネット」展大賞、銀賞、そして銅賞作品が選ばれました。
ネットという「ヴァーチャル/仮想的な」世界の中に構築された三次元世界は、果たして、真の意味での「ヴァーチャルなもの」(Virtual=本質を示唆するもの)となりうるのか……? という視点から設けられたのが「日本の未来」というテーマです。当時日本は、バブル経済の崩壊に直面し、どのような将来像を目指して進めば良いのかという戸惑いの最中にあり、世界の人たちの目もその問題に向けられていた時期にありました。そのような時期に提示されたこのテーマは、多くの国々/地域の方々の関心を集め、VRMLという困難な技術が要求されたにも関わらず多くのアーティストから応募を得ることができました。
その中で注目を集めたのが、ドイツのアーティスト、アンドレウ・ライテマイヤー氏の作品です。電子基板で作られた日の丸の模様の蝶が花や星のある空間を飛翔する様子に、彼が日本の将来に向けて抱いているイメージがストレートに表現されています。
Andrew Reitemeyer (Germany)
また、ブルガリアのアーティスト、コンスタンティン・ヴァシレフ氏のように、日本とはあまり縁のなかった地域の人たちの作品からは、その人々が伝統的に日本に抱いているイメージや、今後の日本に向けた期待を垣間見ることができます。ヴァシレフ氏はその後、アメリカに移住し、アーティストとして活躍されています。
Konstantin Vassilev (Bulgaria)
1997年の展覧会の全体は、こちらからご覧頂けます。(目次はこちら)
○「アート・オン・ザ・ネット 1998/ストリーミング・メディアの時代−言葉の壁を超えて」展
第四回目の「アート・オン・ザ・ネット」展では、当時もっとも革新的であったストリーミングの技術を取り上げています。日本でもこの年の11月にはWindows98が発売され、インターネットの普及に拍車がかかった時期です。
この当時は未だナローバンドの時代でしたが、パーソナル・コンピュータと安価なビデオ・カメラを用いることで、個人でも比較的容易に自分で撮った音声や動画、あるいはライブのイベントの模様を「全世界に向けて放送できる」ストリーミング技術の登場は、大きな意識変革を伴う出来事でした。テレビという大きなメディアにしか可能ではなかったことを、小規模とは言え個人のレベルで行えてしまうのですから。1997年には海外でもインターネット上の放送(Internet broadcasting)への注目が高まり、それまでの自由ラジオ放送などの精神を受け継ぎます。この展覧会の副題である「言葉の壁を超えて」は、動画や音声による放送で当然多用される言葉の問題を考慮し、全世界に向けて発信するからにはそのような障壁を乗り越えた、映像または音声自体の表現力に重きを置いた作品を寄せて欲しい、という開催者側の意向が込められています。
19ヶ国から84点の作品が寄せられ、その中から金賞、銀賞、そして銅賞が選ばれました。展示された作品の中で多くの支持を集めたのは、エストニアのアーティスト、ティーア・ヨハンソン氏の作品、「Pointless Interactiveless Cowmovie」(「なんだかよくわからない、インタラクティヴでもない雌牛の映画」)です。野に放たれた牛の後を追って歩く子供を淡々と撮したその作品は言葉の壁を見事に乗り越え、そしてまた、完璧なまでに無意味であることによって当時のTV文化に対する鮮やかな逆説ともなっています。
Tiia Johannson (Estonia)
また、カナダのジャネット・ランベール氏の作品は、音声付きの絵本の体裁をとりながら、美しく詩的なイメージを作り上げています。
Jeannette Lambert (Canada)
1998年の展覧会の全体は、こちらからご覧頂けます。(目次はこちら)
○「アート・オン・ザ・ネット 1999−複製技術時代の芸術」展
1999年は、前年のWindows98の発売や、あるいは様々なプラグインが開発されたこともあり、インターネット上に多彩な技術を用いたウェブ・デザインが見られた年です。そのような中で企画された第5回目の「アート・オン・ザ・ネット展」は、『複製技術時代の芸術』というテーマの下に作品を公募し、25ヶ国から100点余り の応募を受けて開催されました。『複製技術時代の芸術』とは、ドイツの哲学者ヴァルター・ベンヤミンの著書からとられた言葉で、今日のあらゆるアートを論じる際の一つの道標でもあります。
インターネット・アートは、1995年に「アート・オン・ザ・ネット展」が発足して以降、様々な国内外の美術館でも取り上げられることが多くなっていました。しかし、それらの多くは、美術館の内部に閉ざされたネットワークの中でだけ公開されていたり、あるいはその表現される内容も社会や情報とは一切の接点を持たないものであったりと、 ベンヤミンが提唱したアートの新しい在り方とは、少し異なった方向に動き始めていたのもこの頃です。それゆえ敢えて、そのような大きな概念をテーマに据え、再度「どのようなものがインターネット上のアートであり得るのか」を問い直すことを意図して企画されました。
この年から、作品の容量が大きくなったこと、回線速度が多少速くなったこと、そしてアート作品をアップロード可能なサーバが町田市立国際版画美術館のサーバ以外にも増加したこともあって、それまでのように原則的に「アート・オン・ザ・ネット展」のサーバ内部にデータをおく方式ではなく、外部のサーバへのリンクも可としました。しかしそのために、その外部のサーバが消失したり、作者が展示を取りやめた時など、その作品を観ることができないことも増えてきました。
この1999年頃から、南米のアーティストの応募も急速に増えています。
Arcangel Constantini (Mexico)
1999年の展覧会の全体は、こちらからご覧頂けます。(目次はこちら)
○「アート・オン・ザ・ネット 2000−パロディ」展
パロディとは、高度で洗練された芸術行為の一つです。しかしそれは同時に、悪趣味や著作権の侵害と紙一重の世界でもあります−−−インターネットというデジタル・メディアは、望みさえしたら他のメディアやソースをデジタル的にコピーし、再利用することができることから、パロディという問題は当初から様々に論じられていたことでした。しかしそれだけではなく、この頃のインターネット・アートの世界は、そのようなテーマを提示できるまでに成熟しつつあったと言うこともできるでしょう。この年は、21カ国からの120点の応募作品から賞が選ばれました。
大賞に選ばれたロシアのレオ・ステパノフ氏の"Machine PICASSO(「動くピカソ」)" は、ピカソの名作『ゲルニカ』を素材とし、あたかもそれが、当初からマルチメディア的に制作された作品であるかのような完成度を見せています。
Leo Stepanov (Russia)
2000年の展覧会の全体は、こちらからご覧になれます。(目次はこちら)
○「アート・オン・ザ・ネット 2001−インタラクティヴ・サウンズ/ジョン・ケージ以後」展
インターネット上では、音楽や音を素材とした表現活動も活発に行われています。この年には、インターネットの特性の一つである「インタラクティヴィティ(双方向性)」を備えた、いわゆる「サウンド系」の作品を公募しました。21カ国より応募された作品から選ばれたのは、エストニアのアーティスト、ラウル・ティーダマン氏の『ピアノ』という作品です。神経質に揺れ動く眼球と、その上にマウスを走らせることで響き渡る澄んだピアノの音色との対比は、鑑賞する人に大きなインパクトを与えます。
LAUR TIIDEMANN (Estonia)
2001年の展覧会の全体は、こちらからご覧になれます。(目次はこちら)
○「アート・オン・ザ・ネット 2002−”9.11”」展
2002年度の「アート・オン・ザ・ネット」展は、「9.11」というテーマで作品の募集を行いました。このような社会的なテーマは、これまでのアートの世界では取り扱われない傾向にありましたが、前述したようなインターネットというメディアの特性と、その上で発表されるインターネット・アートのこれからの可能性を考慮した上、敢えて設けたものです。
この年のプロジェクトの特徴は、審査員による賞の決定の代わりに、参加するアーティスト自身が審査員となり、お互いの意見を交換しあい、そして参加者自らが賞を決定するという方式を採用したことにあります(応募要項)。これは、「9.11」として表面化した世界規模の対立の構図の中にあって、自分たちアーティストに何ができるのかを考えてもらうためであり、また、そのようなコミュニケーションにこそ、唯一の解決が見出されると考えたからです。その結果は、「ディスカッション」における大変白熱した議論となって結実しました(英語のみ)。
応募総数は100点を超えましたが、応募要項によって求められた条件を満たすことのできないものを除いた70作品のアーティストにより、2002年10月1日から10月20日の間に、参加者自身による作品の審査(「審査/投票要項」/「審査/投票への主催者側コメント」)とディスカッションが行われました。ディスカッションと平行して投票が行われ、70名のアーティスト/審査員中55名が投票を行った結果(投票率78.5%)、大賞は最高得点を集めたロシアのアーティストが授賞しました。この展覧会が成功したことによって、インターネット・アートあるいは「メディア・アート」のあるべき姿の一端を、世界に向けて示すことが出来たように思います。
例えばアメリカのアーティスト、エリック・サルヴァッジョ氏の作品では、この事件で犠牲となった方々の名前をもちいたアスキーアートで、事件当時のWTCビルが描き出されています。
Eryk Salvaggio(USA)
また、イスラム圏のトルコから応募されたアリ・ミハルビ氏の作品は、テロ行為の愚かさを諧謔的に表現したもので、欧米の国々からの出品者が多数を占めたディスカッションにおいては、当初あまり好意的には迎えられていませんでした。しかし、対話が進むにつれて多くの参加者の理解を得て、大賞受賞作品と4票差の4位という結果になったことは、アートの世界においても、そのようなコミュニケーションが如何に重要であるかを示しているように思われます。※この作品をご覧になるには、インターネット・エクスプローラーではなく、ネットスケープ・ナビゲーターが必要となります。
Ali Miharbi (Turky)
2002年の展覧会の全体は、こちらからご覧になれます。(目次はこちら)
○「アート・オン・ザ・ネット 2003−Curating Anti-Violence」展
「9.11」という事件に象徴されるような世界規模の対立という図式においてその幕を開けた21世紀。この頃は、アートの世界においても戦争に代表されるような競争原理への批判が色濃くなっていた時期です。「アート・オン・ザ・ネット展」がこれまで企画したきたものも、アーティストの方たち相互のコミュニケーションを重視してはいても、公募展というコンペティションであり、そこで行われるものも一種の競争なのではないか……という観点から、2003年度は一時的に公募展ではなく、5名の女性キュレーターの方々に作品を選んでいただくという「ゲスト・キュレーター制」としました。
テーマは、「Curating Anti-Violence」(「非暴力をキュレートする」)として、反戦や平和を訴えた、アートの世界で評価の高い作品を集めて開催されました。インターネット・アートの創生期から今日までの、名作と呼ばれる作品も多く含まれています。
2003年度の展覧会の全体は、こちらからご覧になれます。(目次はこちら)
4.「アート・オン・ザ・ネット展」総括と、『プロジェクト ネットアーツ・オルグ』
これまで美術館で紹介されていたアート作品には、「その美術館に行かねば目にすることができない」ものであることが求められていました。アート作品とは希少で高価なものでなければなりませんでした−−−美術館の外部に多数存在するものであれば、誰もその美術館を訪れたりはしないからです。しかしそのような常識も、社会の情報化/デジタル化が進むにつれ、時代との齟齬が目立つようになりました。特に、いわゆる「デジタル・アート」、「メディア・アート」というものが登場し、脚光を浴びるようになってからは、そのギャップは無視することが出来ないほど大きくなっています。
過去には印刷物や写真、今日ではビデオやコンピュータによって作られたデータといった、膨大な数を複数制作できるメディアがあり、そしてそれらは、実社会の中でコミュニケーションのメディアとして機能しています。そして、それらを用いた作品が希少なアート作品として展示されるためには、その数量を制限しなければならないのですが、そのことによって、コミュニケーションのためのメディアとしての性質を失ってしまうことになります。例えば版画は本来、浮世絵や宗教版画に見られるように、楽しみやメッセージを伝達するための重要なメディアでした。しかし、美術館というシステムが確立し、版画がアートのためのメディアとされるようになると、番号とサインを入れて限定した数量のみ制作することでその要件を満たそうとします。その結果、今日制作されている版画作品からは、社会におけるコミュニケーションのための有用なメディアであったその片鱗をうかがうことはできません。
また、1980年代は「ビデオアート」が注目を集めた時期でした。放送にも使用されるビデオ機材は、人と人とを繋ぐ情報伝達のメディアであり、重要な出来事やメッセージを多くの人たちに伝えるための存在ですが、この「ビデオアート」は、版画と同様に、アートとして認められる代償としてその性質を放棄しなければなりませんでした。その結果「ビデオアート」は、内容的に乏しく、ただ視覚的な刺激だけに満ちた映像となってしまいます。言うまでもなくそのような無内容な映像はすぐに飽きられてしまい、1990年頃を境として国内ではほとんど制作されなくなります。それは、ビデオというメディアの備える性質と、これまでのアートの定義との間の大きなギャップのためでしょうし、そして恐らく、美術館というシステムが近代を象徴するものであることに対し、ビデオは近代以降の時代を予兆するメディアであった、という大きな差異に基づくことでもあったのでしょう。
そしてその後、社会ではコンピュータが登場し、コンピュータ・グラフィクスをはじめとするデジタル作品が盛んに制作されるようになります。デジタル技術の特質には、オリジナルのデータを劣化させることなく無限に複製し、それを流通させることによって、出来るだけ多くの人たちに情報を正確に伝達することにありますが、そのことはこれまでの美術のシステムにおけるアートの定義とは明らかに矛盾しています。1990年前後、美術館で展示されることだけを目的とした作品も数多く制作されましたが、それらの作品がどれも技術的に最先端のものであったにも関わらず、それらはその時点で既にデジタル作品であることの特性の大半を失い、社会的な意味や機能を喪失してしまっていました。それゆえ、一時期盛んに美術館で取り上げられていたコンピュータ・グラフィクスの作品も、「ビデオアート」と同様、今ではあまり目にすることができなくなっています。
そのように、現在主流となっているデジタル技術の性質とこれまでの美術館というシステムの間には大きな溝が存在しています。しかし美術館に収蔵されている、アートという概念が成立する前の19世紀以前の作品を振り返って考えた時、それらの多くがアートとして制作されたものではなく、今日の社会におけるチラシやTV番組、あるいはインターネット上のHPのように、何らかのメッセージや情報を伝達するためのものであったことに気づくことでしょう。その時代においては、それらは生き生きとした有用なメディアであったのです。
そのように考えたとき、これまでのアートの定義をこれからの時代にも適用することが、果たして美術館として正しい姿勢なのだろうか、という疑問が生じます。今現在、社会において現実にコミュニケーションのためのツールやメディアとして機能しているビデオ作品やコンピュータ・グラフィクス、あるいはインターネット上のクリエイティヴな作品は、疑いようもなく、今という時代を代表するアーティスティックな創造行為の産物です。そして、それが希少でも高価でもなく、数限りなく多数存在するものであり、日常生活に密着した情報やメッセージを媒介するものであるという意味で、これまでの基準からはアートと呼ぶことができないものであったとしても、そのような新しいアートを、その特性を活かしたまま、むしろ強調しつつ、美術館は積極的に取り上げるべきなのではないか。そしてそれが、美術館というシステムを新しい世紀に引き継ぐことにもつながるのではないか−−−そのような観点から、町田市立国際版画美術館では、『ビデオ・アゲンスト・エイズ』展、『コンピュータ・グラフィクスの世界』展、『ビデオアート・アフター・ビデオアート』展などを開催してきました。そして、インターネットという最新のメディアを取り上げた「アート・オン・ザ・ネット展」も、その延長線上にあります。
「アート・オン・ザ・ネット」展の10年を顧みて、このプロジェクトの特質を最も良く表現しているものは何か、と言えば、2002年度に開催された「9.11」というテーマの展覧会が挙げられます。その応募された作品の数々、そこに含まれたメッセージ、活発に展開されたディスカッションの中に、わたしたちの「メディア・アート」の定義である、「情報伝達技術の発展、社会の状況、そしてそこにいたるまでのアートの歴史とが交差し拮抗した地点に生を受ける、新しい時代をインスパイアするような新しい在り方のアート」というものが、一部分ではあっても実現されていたように思っています。そこには確かに、新しいアートが誕生する可能性が存在していたと言っても良いでしょう。
そして、2004年の設立10周年を契機として、2004年の秋から、「アート・オン・ザ・ネット展」はより一層その内容を豊富なものとして、「プロジェクト "ネットアーツ・オルグ"(Project "netarts.org")」として新たな活動を開始します。"netarts.org"の"netarts"とは、海外のアートシーンでインターネット・アートを現す用語の一つであり、"org"は、それに関心を持つ人たちが集う「組織」を意味しています。それはまた、今後の活動が展開されるサーバーの名称ともなっています。そこで展開される展覧会や、開設予定の各種オンライン・フォーラムを通じた活発な意見交換の中から、真の意味でのネットワーク時代の新しい在り方のアート、新しい在り方の美術館へと向けた創造的なイメージが産み出されることを期待しています。
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※以上の解説の文責は、町田市立国際版画美術館メディア・アート担当学芸員 箕輪裕にあります。