補遺C.特別引用
Apendix C. Extra Quotes
 
 我々にとってみれば、彼は永遠の失業という仕事を命ぜられているようなものだ。
 
 もし、私たちに彼が仕事を求めてきたとしても、結局のところ、
 彼はこの〈ワイン〉を産み出すことはできなかっただろう。
 
 これを腹一杯飲んだら、旦那、
 〈あなた〉はとっとと出ていって、経済学に身をゆだねたらいかが?
 
−−ジャラロッディン・ルーミー〈『タイ国の役人』〉
 
 ここに、大枝の下の一山のパンと、
 一瓶のワインと、詩の本が一冊−−そして汝が
 我が脇にて、荒野の中で歌っている−−
 そして荒野は、実に天国である。
 
 おお、我が愛しい人よ、過去を悔い、
 未来を恐れる今日という日を
 清める酒杯を満たせ−−
 そして明日? −−明日我は、
 昨日の七千年と共にある我であろう
 
 おお、我が愛しい人よ、汝と我は、
 事象のこの哀れな仕組みをすべて会得しようと企てる
 宿命にあってよいのであろうか、
 我々はそれを微塵にうち砕き−−そして
 心の欲望により近いものへと鋳直そうではないか!
 
  −−エドワード・フィッツジェラルドの自由訳によるオマル・ハイヤーム
 
 
 歴史、唯物論、一元論、実証主義、そしてこの世界のあらゆる「〜主義」は、わたしがもはや必要としたり、気にかけたりはしない旧弊でひからびたツールに過ぎない。わたしの原則は生であり、わたしの終わりは死である。わたしは、自らの生を悲劇的に抱擁するため、自らの生を情熱的に生きたいと望むのである。
 あなたは革命を待っているのか? わたしのそれは、大昔に始まったのだ! あなたの準備が整った時(神よ、なんと終わりなき待機でしょうか!)、わたしは、しばらくのあいだでもあなたと共に行こうとはしないだろう。そしてあなたが立ち止まった時にも、わたしは、無への偉大でまた高尚な征服へと通じる、我が気違いじみた凱旋の道を歩み続けることだろう!
 あなたが構築するすべての社会は制限を備えていることだろう。そしてすべての社会の制限の外部には、野蛮で無垢な思想を備えた、荒々しく英雄的な浮浪者たちがさすらうことだろう−−彼らは、常に謀反の新しくそしてもの凄い暴発を企てることなしには、生きることができない者たちである!
 わたしも彼らの一人となることだろう!
 そして、わたしの後には、わたしの前と同様に、このように彼らの仲間に説く人たちが存在することだろう。「あなたの神へ、あなたの偶像に向かうよりも、あなた自身に向かいなさい。あなた自身の中に隠されているものを見つけだしなさい、そして、それを白日の下に曝すのです、あなた自身を明らかにするのです!」と。
 なぜなら、自分自身の内面性を求め、内部に神秘的に隠匿されていたものを引き出そうとするすべての人々は、太陽の下に存在することができるあらゆる社会の形態を覆い隠す影のようなものであるのだから! すべての社会は、浮浪者たち、近寄りがたい者たち、唯一者たち、理想を超越した統治者たち、そして無の征服者たちによる冷笑的な貴族政治が断固として前進するとき、身震いするのである。
 さあ、偶像破壊主義者たちよ、前身だ!
 「未来を告げる天空は既にかき曇り、静寂となりぬ!」
 
レンツォ・ノヴァトーレ・アルコラ、一九二〇年一月

 

 
海賊のラント
ベラミー船長
PIRATE RANT
Captain Bellamy
 
 ダニエル・デフォーは、チャールズ・ジョンソン船長の筆名で海賊に関する最初のスタンダードな歴史文献となるものを著したが、それが『最も高名な海賊たちの略奪と殺人』である。パトリック・プリングルの『ジョリー・ロジャー』によれば、海賊への求人は無職の人々、逃亡した小作人、流刑になった罪人たちにとって、最も魅力のあるものであったという。外洋は階級間の不平等を即座に解消してみせた。デフォーは、ベラミー船長と名付けられた海賊が次の演説を彼が拿捕した商船の船長に行ったさまを描いている。その商船の船長は、海賊に加わらないかという誘いを拒絶したところだ。
 「やつらが、あんたのスループ船を返さねえってことは、まったくもって申し訳なく思うよ。わしは、それがわしの利益にならねえときには、誰にも損をさせたくはねえんだがね。あの糞忌々しいスループ船を、わしらは沈めなきゃなんねえんだが、あいつはあんたにとっちゃ、そりゃ役に立つもんだろうよ。けどあんたは、こそこそ屋の青二才で、金持ち共がやつらの安全のためにでっちあげた法律にへいこらするんだろう。なぜって、あんたのような弱虫小僧にゃ、やつらが悪どくかっさらったもんを護るほか、勇気を持ち合わせちゃいねえんだからな。あんたも一緒にくたばりゃいいんだ。あの狡賢い奴等も一緒にだ。そしてあんたは、奴等の召使いで肝の小せえ阿呆なんだ。奴等は、法の庇護の下に貧乏人から巻き上げるんだ、そうだとも! そしてわしらは、わしらの勇気に護られて、金持ちから搾り取るんだ。あんたにしたって、食うためにあんな奴等におべっか使っているよりは、わしらに加わった方がいいんじゃねえか?」
 
 そして船長が、彼の意識が神と人の法を破らせてはくれないだろうと答えたとき、ベラミー船長は続けた。
 
 「あんたは悪魔のような心根の臆病者だ。わしは自由の王子で、そしてわしは全世界に戦争を起こす専門家なんだぜ。奴等が百隻の船を海上に浮かべて、一万人の兵隊を戦場に駆り出したとしてもな。そして、このわしの心がわしに言うんだ。だが、こんなめそめそした弱虫たちと話し合っていても埒があかねえ、とな。それはな、あんたらが、あんたらを甲板中蹴り回すお偉いさんたちを嬉しがって受け容れてしまっているからなんだよ。」
 
 
ディナー・パーティー
THE DINNER PARTY
 
 現存する社会秩序における人間社会の最も高度な形態は、客間において見いだされる。貴族階級のエレガントで洗練された親睦会には、法律のお門違いの干渉はまったく存在していない。各人の個性は充分に許されている。交際はそれゆえに完全に自由である。会話は途切れることなく、輝き、そして遷ろう。グループは出し物に従って形作られる。それらは間断なく離散して再形成するのだが、それは微妙でいながらすべてに遍在する同一の影響力の作用を通じてのものである。相互の差異はすべての階級に遍在するものであって、複雑な人間関係においてこれまでに達成されたもっとも完全な調和とは、法律家と政治家とが、必然的なアナーキーと混乱の状況だとして忌み嫌うまさにその環境において優勢となるものなのだ。もし、エチケットの法律などというものがあったとしても、それはそれぞれの個人の心によって、彼自身あるいは彼女自身のために取り入れられ、選ばれた諸原則が暗示されたものにしかすぎない。
 現代の世代が展開している発展のすべての無数の諸要素を伴ったヒューマニティの将来的なあらゆる進歩においては、社会は概して、そしてすべてのその諸関係において、社会のある種の部分がある種の特別な関係において既に獲得しているのと同じように高度な完全性を獲得することはないだろう、と想像することは可能であろうか?
 客間の交流が特定の法律によって統制されることを想定してみよう。それぞれの紳士がそれぞれの淑女へ話しかけることが許される時間が法によって定められるのだ。彼らが座り、あるいは立つ姿勢は厳密に統制され、それぞれお互いの特権と権利への混乱と侵害を避けるという口実の下に、彼らが話すことのできる話題、それぞれが表現するであろう声の調子、それに伴う身振りが入念に定義されるのである。その時には、社会的な交流を我慢できないような奴隷状態や望みない混乱へと転化する目的のために、あらゆるものがよりよく計算され、あるいはさらに効き目のあるものとなっているのではないだろうか?
 
−−S.パール・アンドリューズ 『ザ・サイエンス・ソサエティ』