広告
Advertisement
 
 
 この小冊子があなたへ告げているものは、ありふれたことなどではない。それは壁にピンでとめられるかも知れないが、しかし依然として生きており、のたうちまわっている。それは、あなたがとても若くて容姿端麗でない限りにおいては誘惑しようとは思わない(近影同封のこと)。
 ハキム・ベイはいかがわしいチャイニーズ・ホテルに住まっているが、そこでは経営者が新聞を読みながら、あるいは京劇のノイズだらけの放送を観ながら麻薬で陶酔している。天井の扇風機がものぐさなダルウィーシュのように回って−−お菓子が本のページに落ち−−詩人のカフタン[トルコ風長衣]は着古るされており、そのトルコ葉煙草は絨毯の上に灰をまき散らして−−彼の独り言は支離滅裂で、ちょっとばかり不吉のようでもあり−−鎧戸が閉ざされた窓の外では、スペイン人街が椰子の木と溶解し、汚れない青い海、熱帯信仰の哲学となる。
 あなたは、ボルチモアの東のどこかにあるハイウェイ沿いで、霊的読書(Spritual Reading)と大きく記し、赤地の上にぞんざいな黒い手を描いた幟を掲げたエアストリーム社製の長距離旅行用トレーラーを追い越す。あなたは心のうちに、夢判断の本、数当て賭博の本、ブードゥー教やサンテリア教のパンフレット、薄汚れた古いヌーディストの週刊誌、一山の『ボーイズ・ライフ』、闘鶏についての研究を思い浮かべている……そして、この本『カオス』を。夢の中で語られた言葉、不吉で、束の間で、芳香へと変化するもの、鳥、色、忘れ去られた音楽のようなものを。
 この本は、うわべのある種の無神経さ、ほとんどどんよりとしていることによって、自らに距離を置いている。それはその尻尾を振ったり唸ったりもしないが、噛み付いたり家具にさかったりはする。ISBN番号を持たず、あなたを弟子にしたいとも思っていないが、しかし、あなたの子どもたちを誘拐するかも知れない。
 この本は、コーヒーあるいはマラリアのように神経質である−−それは自身と読者とのあいだに、身代わりと安全な運び屋のネットワークを用意している−−しかし、あまりに破廉恥でいて文学的精神に溢れているために、実際には自身を暗号化してしまっている−−自らをくゆらせて恍惚となっているのだ。
 仮面、自分自身の神話、地名のない地図−−誰かの顔を愛撫しようとしているにも関わらず、エジプトの壁画のように硬直したもの−−そして、突然自らを、街路に、身体に見い出すもの、光の中に体現されたもの、歩いていて、覚醒していて、ほとんど満足しているもの。
 

           −一九八四年五月一日から六月四日、ニューヨーク・シティにて

NEXT