第九コミュニケ
二重の告発
Double-Dip Denunciations
 
 
T.キリスト教 
I. Xtianity  
 何度となく我々は、気取った死骸がついに最後の悪意に満ちた溜息をつき、そして、浮かび上がってきっぱりとカボチャと化してしまうことを望むのである。そして繰り返し、我々のあらゆる待合い室の壁に釘付けにされた、その不吉で皮を剥がれた死の旅の幽霊の敗北と、それが二度と我々の罪について我々に愚痴をこぼさないことを想像するのであるが……
 しかし、それは幾度となく復活すると、〈恐ろしく低級な〉スナッフ・ポルノのスプラッタ・ムービー−−『ゾンビの誕生』(Night of the Living Dead)の千回目のリメーク−−の悪役のごとく、我々に取り憑くために這い戻ってくる−−屈辱に喘ぐのろのろした足を引きずりながら……あなたが、知らず知らずの内に安全だと考えたちょうどその時……それは、イエス様の「人喰い鮫(ジョーズ)」なのだ。気を付けろ! 「凶悪なチェンソーの洗礼者たち」だ!
 そして、自らの弁証法的パラダイスの「オメガ・ポイント」を懐かしむレフティストたちは、こみ上げる歓喜の声をあげ、腐りかかった宗教的信条が亜鉛メッキされて回帰してくることを歓迎する。つまり、ラテン・アメリカ出身のそんなマルクス主義の司教全員と、タンゴを踊ろうではないか−−敬虔なポーランドの港湾労働者のために、バラードを声低く歌おう−−キリスト教篤信地帯(バイブル・ベルト)出身の最後のアフロ=メソジスト教徒の大統領候補のために、黒人霊歌をハミングしよう……ということだ。
 
 A.O.A.は「解放の神学」を、スターリン主義の尼僧の陰謀団だとして告発する−−バビロンの秘密の緋色の「罪深き娼婦たち」が、熱帯地方で赤のファシズムと取引しているのだ。〈連帯(ソリダルノスチ)〉? 「教皇聖下の労働組合」である−−アメリカ労働総同盟産別会議(AFL/CIO)、バチカン銀行、「フリーメーソンのプロパガンダ支部の会費」、そしてマフィアによって支援された労働組合なのだ。そしてもし、我々がかつて投票したことがあったとしても、我々はその品種や色がどうであれ、キリスト教の犬に空虚な身ぶりを浪費することは絶対にないであろう。
 〈現実の〉キリスト教徒たちは、と言えば、何度も頭に穴を開けて自らにロボトミー手術を施した偽善者、モルモン教の嬰児殺害者、「奴隷根性の宇宙戦士」、テレビ伝道師の黒シャツ隊、「天に在す聖処女マリア」のゾンビ部隊である(彼女は子どもや妊娠した一〇代の少女や同性愛者のセクシュアリティの上に、憎しみ、教会の呪い、吐寫物のバラをまき散らしつつ、ブロンクス上空のピンクの雲の中に浮かんでいる)……
 本物の死の(デス・)カルト信者、典礼主義のカニバリスト、「ハルマゲドン・フリークス」たち−−キリスト教右派である−−はと言えば、我々にできるのはただ、天国への誘拐よ来たれ、そして彼らをすべてその車のハンドルの後ろから、八百長試合のショーから、きちんとしたベッドからかっさらい、そしてまとめて天上へと連れ去って、〈我ら〉に〈人間的な暮らし〉を営ませたまえ、と祈ることだけである。
 
 
II.妊婦堕胎権支持者と反対者たち 
II. Abortionists & anti-abortionists  
 中絶を行うクリニックを爆破するカトリック教徒たちは、「平和」についてペラペラ喋り、その上すべての人間的なセクシュアリティを罵倒する司教と同じく、不道徳な愚行というグロテスクなカテゴリーに属している。自然は法を備えず(「ただ慣習のみ」)、それゆえすべての法は不自然なものである。〈すべてのもの〉は、個人的/想像的モラルの領分に属する−−それが殺害であっても。
 だからといって、カオス理論によれば、我々が殺害−−あるいは中絶−−を好み、是認しなければならないということではない。カオスは、すべての私生児が分娩日を迎え、誕生するのを見ることを好むであろうが、それは、精子と卵子だけでは単なる愛の分泌物でしかないのに、ひとたびDNAとして結びあわされると、意識を、反エントロピーを、歓びを秘めた存在となるからである。
 もし、「徹底した菜食主義者」が好んで言う通りに「肉食は殺害である!」ならば、祈りというのは中絶のことなのか? 自らが狩る動物たちに踊りを捧げ、彼らの日常の糧と同化し、その悲劇的要素を分け合おうと瞑想したトーテム主義者たちは、「妊娠中絶合法化支持(プロ=チョイス)」の人工女性(フェミノイド)のようなリベラルたちの月並みなサクラ連中よりも、遥かに人道的に価値を示していたのだ。

 「スペクタクル」の見本帳の中で「論争」へとでっち上げられたすべての「問題」は、〈どのみち〉常に糞まみれである。「妊娠中絶問題」とてその例外ではない。

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