特別コミュニケ
SPECIAL COMMUNIQUE
A.O.A.は、カオス・ムーヴメントにおける粛清を予告する
A.O.A. Announces Purges In Chaos Movement 
 
 

 カオス理論はもちろん、〈不純に〉流れなければならない。「不精な田舎者は曲がった畦を掘る」。イデオロギーの結晶化を急ぐ試みの行き着くところは、あらゆる「純粋さ」とともに我々が縁を切りたいと思っているひび割れた硬直性、化石化、厳めしさ、そして無味乾燥さである。そう、カオスはある種奔放な無形式性の中に出現するのだが、それは、その慣習の破壊と可変性の暴露ゆえに我々が愛するエロティックな乱雑さと似ていなくはないものなのだ。しかしながらこのルーズさは、我々の神聖な皮膜に侵入しようとするらゆるヒルを受け入れねばならない、ということをほのめかすものではない。カオスのある種の定義や奇形化は弾劾に値するし、そして聖なる無秩序への我々の献身は、裏切り者、詐欺師、心理的吸血鬼といった、それがトレンディであると感じてカオスのまわりを忙しなく動き廻っている者を排除することを我々に思いとどまらせたりはしない。我々が提案するのは、〈我々の〉定義の名の下での「異端審判」ではなく、むしろ、いわゆる決闘、口論、暴力行為あるいは感情的嫌悪の行為であり、悪魔祓いなのである。まずは我々の敵を定義し、名付けることにしよう。@カオスを専ら、苦痛、消極性、喜びのない偽りの自由主義にだけ結び付ける頭が死んでいる者たちと、不完全化のアーティストたち−−「善悪の彼岸」とは邪悪を為すことと考える者たち−−SM趣味の知識人、黙示録を小声で感傷的に歌う歌手−−新グノーシス主義の二元論者、世界を憎悪する者、そして醜いニヒリストたちである。Aカオスを、破壊する力(例えば粒子ビーム砲)として、あるいは秩序を強制するメカニズムとして売りつけ、カオス数理の形で統計的社会学や暴徒の操作に用いるすべての科学者たち。このカテゴリーに属する者の名前と住所を発見しようとする試みも行われることだろう。Bカオスをニューエイジ的な詐欺という目的のために利用するすべての者。もちろん〈我々〉は、あなたがその金を全部くれるということには反対したりはしないが、しかしありのままに言うなら、我々はそれをマリファナを買ったり、モロッコへの飛行機代金に充てたりするだろう。あなたは川の近くで水を売ることはできない、つまり、カオスは錬金術師が言っていたところの〈質料(マテリア)〉なのであって、それは、たとえ堆肥の山から見つけられたものであったとしても、黄金も問題にしないほどの高い価値を持っているのである。このカテゴリーにおける主要な標的は、ウェルナー・エアハルトすなわち〈エスト〉の創始者であり、彼は今「カオス」を瓶詰めにして「ヤッピーじみた人々」にフランチャイズしようとしているのだ。次に我々は何人かの友人たちの名前を挙げるが、それは、我々が楽しんでいるカオス理論における実に多様な傾向を説明するためである。「ケイオティカ」、これはフェラル・ファウン(フェラル・レンターとしても知られる)によって発見された空想上の自律ゾーンである。「アカデミー・オヴ・カオティック・アート・オヴ・ツンドラ・ウィンド」。ジョエル・バーノコの雑誌『ケイオス(Kaos)』。『カオス・インコーポレイテッド』、これは最も優れたカオス科学者であるラルフ・エイブラハムの著作と結びついたニュースレターである。「ザ・チャーチ・オブ・エリス」。「ディスコルディアン・ゼン」。「ムーリッシュ・オーソドックス・チャーチ」。「チャーチ・オヴ・サブジーニアス」のある支部。「セイクレド・ジハード・オヴ・アワ・レディー・オヴ・パーペチュアル・ケイオス」、「第三型(tipe-III)のアナーキズム」に所属する作家たち、『ポピュラー・リアリティ』のような報道誌等々。今や戦線は敷かれた。カオスはエントロピーではなく、カオスは死ではなく、カオスは商品などではない。カオスとは継続的創造なのである。カオスは、決して死んではいないのだ。

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