■ 選評−箕輪 裕
わたしたちが新しいメディア(コミュニケーションのツールであり、スペースでもある)を、アートを制作するために使い始めると、やがて美術館やギャラリーでも「同じような」作品が展示されることになる。
それらは、例えばビデオ・インスタレーションのような形で物質性/希少性を獲得することによって、あるいは、ハイテク・アートのように理解困難な技術的ブラック・ボックスというアウラを身に帯びることによって「アート」という呼び名を獲得するのであるが、それはしばしば、そのメディアの潜在力の大半を捨て去ってしまうことを意味している。「ビデオアート」やある種の「CGアート」が顧みられなくなったのは、そのような理由からである。
そのような喜劇を避けたいという気持ちもあって、1995年に『アート・オン・ザ・ネット展』を開始した時、わたしたちは、この美術館の内部にその展覧会にアクセスする端末を設置しなかった−−−これまでのようなアート、ますます商品としての性格を強めつつあるアートの世界とは、一線を画したかったからだ。いずれにしてもインターネットは、近代という時代を乗り越えて行くに違いない−−−であるなら、インターネット・アートもまた、これまでのアートの枠組みを遠慮なく踏み越えて行くだろう。
あらゆる「新しいアート」は、常に、何時の時代においても、その時々の社会、新しいコミュニケーションの技術、そしてこれまでのアートの概念という三者の間の激しいコンフリクトから産み出される。その意味では、社会が激しく動き、インターネットに代表される新しい在り方のメディアが登場し、そして、これまでのような在り方の美術や美術館が立ち行かなくなりつつある今こそ、わたしたちは新しいアートの誕生を目にしていることになるのだろう。
今年のテーマは、「現在をタグする/現在にタグする」とした。ソーシャル・タギングを例に出すまでもなく、「個人個人が付けたタグを如何にして共有するか」、また、「どこに自分の境界線を引くのか」という問題も、アートは避けて通ることができないからだ。
その結果、オランダのアーティストたちの作品が大賞に選ばれた。見事に「現在をタグ」し、「現在にタグ」している作品だと思う。
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