■ 選評−マーク・アメリカ
ハイブリッド化されたオンライン/オフラインの社会的なネットワークへと、私たちのライフスタイルの実践をしっかりと埋め込むことは、何を意味するのだろう? リアリティとは本質的に、常に、既に「混ぜ合わされたリアリティ」なのではないだろうか? テレマティックス的な物質は、そこにあっても、実はそこにはないのである。あなたが今それを見ていても、実は見ていないのだ。しかしあなたは、それを未だに感じることができる。本質的には物質としてではなく、結びつきとして。ナムジュン・パイクがかつて言ったように、サイバネティックスとは「純粋な関連の科学、あるいは関連それ自体」であり、「その起源はカルマの中にある」からだ。
パイクは次のようにも言っている。「人工頭脳化されたアートは非常に重要であるが、しかし、人工頭脳化された生活のためのアートはより重要であり、そして後者は人工頭脳化されてはならないのだ」と。
ケート・リッチの「フェラル・トレード」は、良いカルマを備えている。DIY貿易の人々との関わりを実践することで、人工頭脳化された生活が人工頭脳化されたアートよりもより重要であること、そして、前者は人工頭脳化される必要がないことを、私たちに示してくれる。
彼女が用いるメディアは何なのだろうか? インターネット? フリーランスのクーリエたち? コーヒー? コーラ? それとも、関連それ自体なのか?
彼女の貿易は、彼女の言葉を借りれば、『社会的なネットワーク伝いに新しい貿易関係を発展させることの先駆なのです。なぜ「feral (野生化した)」という言葉を使うかと言えば、そのプロセスが、ロマンティックでもなく、生まれつき野性的(狼のように)でもなく、片意地なまでに(鳩の行動に見られるように)野生化したものであるからです。その物資の輸送は、異なった社会環境の間に虫食いの穴を開くものであり、その虫食いの穴とは、他の情報、技術、あるいは人々が精力的に行き来する経路なのです』。
この意味において、このアートワークは戦略的なメディアとして倍加した存在になる。それは、主流となっている供給システムを覆し、予期できぬ社会的なネットワークを開拓し、そして、私たちの加速されたテクノ資本主義者的な文化を操る社会経済の強制を煩わせるような問題を浮かび上がらせるのだ。例えば、私たちがオープンソースについて語るとき、どれだけ多くの自称ハッカーにして最先端の人間が、オープンソースの産物を食べているであろうか? それはローカルな産物で、有機栽培のものだろうか? あなたはそれをどうやって手に入れるのか、それもどこで買うというのだろう? オープンソースを語ることは、モダンなハクティヴィズムの美術館での大規模なアート・フェアで、あなたの有害なアート・ウィルスを暴露することなのかもしれないが、しかし、あなたはどうやって、あなた自身の地場産のサステインナブルなDIYネットワークを暗号化するのか?
今年、私たちが審査したすべての優れたネット・アートのサイトの中で、「フェラル・トレード」は、もっとも今年のテーマを内包していた。そして、もし機会があるなら、そこからコーヒーを買ってみると良い。それこそが、この現実の世界からもたらされたものであるのだから。 |