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netarts.org 2007

     

    ■ "FERAL TRADE "
    ■ http://www.feraltrade.org/cgi-bin/courier/courier.pl
    ■ ケート・リッチ (オーストラリア)

    ■ 選評−スーザン・ヘイゼン

     何年も前のこと、私たちの子どもたちが夕食のテーブルについていたとき−−−彼らは順番に、その日学校であったことや、彼らの友人や級友の振る舞いについて話した−−−私たちの十代の息子は、ある複雑な状況に陥った少年についての興味深い話をした。その少年の名前を私は聞いたことがなかったから、その子は近所の子なの、と訊ねた。息子は笑って、彼はネットの「ドーソンズクリーク」(http://www.dawsonscreek.com/)の子だよ、と(辛抱強く)説明してくれた。私は、彼の現実感がヴァーチャルなものと混ぜ合わされてしまっていることに驚愕したが、しかし私も、既に、連続TVコメディーの物語に熱心に巻き込まれてしまっていることを認めざるを得なかった。私の生活の最も貴重な時間において、私は何週間にも渡って、時計仕掛けのように正確に、その物語の中の「友人」や「知人」を目で追っていたのである。

     多くの世代が、複雑な構造のリアル・ライフへと継ぎ目なく編み込まれたテレビというリアリティとともに成長してきている−−−結局のところ、あなたが夕方のニュースで見ないまでは、それは実際には起こってはいないことなのだ。この世代は、私たちをインターネットのプロトコルで結びつけ、ネットワークという綴りの下に留めおく、あらゆる種類の補填的なデバイスとともに成長しているのである。今年の展覧会で取り上げられたプロジェクトは、ウェブ2.0以降の時代の回帰的なネットに私たちが結びつけられている様々な手法にライトを当てている。この種の活動は、単に生活にのみコメントするものではなく、第一に社会それ自体を研究し、定義するものでもある。ネットに結びつけられた無数の活動において、今や、生活の主題が創始され、研究されているようになってきているのだ。

     「フェラル・トレード」−−−ブリストルで2003年に創設された、アーティストが運営する食品雑貨販売業−−−は、社会的なネットワークを越えて物資を売買する公開実験である。産物は手渡しで、社会的なルートに沿って運ばれるが、それはウェブ2.0のインターフェースによって容易になった。この方法では、その他のアーティストたちあるいはキュレーターたちが、余剰物資をある場所からある場所へと移動するラバの役割を果たすべく召集され、その行動によって、彼らはそれまでの公式的な供給経路を無効にすることができるのである。アーティストの声明によれば−−−『「フェラル」とは、そのプロセスが、生まれつき野性的(狼のように)ではなく、片意地なまでに(鳩の行動に見られるように)野生化したものであるからです。「フェラル・トレード」の運送は、その大半が商業的経路の外で行われますが、物資輸送のための社会的、文化的、そしてデータのネットワークの余った潜在力を使ってのものなのです』。「フェラル・トレード」は、印象的な貢献者とスポンサーによって支えられているが、(http://www.feraltrade.org/logo/)、それらはアートを支援する財団や高等教育機関だけではなく、小規模だったり、それほど小規模ではないビジネスをも含んでおり、アート的、社会的、そして商業的なプロセスが一体となって、「フェラル・トレード」を可能たらしめているのである。

     このプロジェクトの背後にいるアーティスト、ケート・リッチは、自らをオーストラリア生まれのアーティスト兼貿易商と称しており、そして彼女は、彼女の経験をその発端から明らかにしてきた。「フェラル・トレード」は、ネットに基盤をおいたプロジェクトであり、本質的には、エルサルバドルからコーヒーを、イランからはお菓子を、ブルガリアからはセント・ジョンズ・ワートを移動することを推進するものであり、そしてそれは今年の大賞に輝いた。これは、リッチの冒険的でプラグティズム的な問題解決方法のみを反映したものではなく−−−それはオールタナティヴな、従来の供給経路をこえての物資の公然とした貿易を可能としたのであるが−−−機略縦横に、創造的に、社会のネットワークの枠組みを活用したアート的な身振りとしても、ネットを越えることを可能としたのである。